ボクには土台が無い1
京都伏見の不動産会社プラスホーム佳山(かやま)です。
この間偉そうにブログを毎日書くコツなんて書きながら
エラそうに書いてるので読んでみてください
今日ちょっぴりタイトルが浮かばない(笑)。今日の出来事の中から・・・と思ってみたけど、大したものが生まれてきそうにもない。こんな時は自分のことを書くに限る(笑)
って事で、タイトルは「ボクには土台が無い」。お楽しみください。
大学を卒業し就職先は某アパートメーカー
ボクは大阪の関西大学を卒業し、就職しました。就職先は「○オパレス21」というアパートメーカー。配属先は広島。早く仕事して一人前になりたかったボクは何だか、就職しただけで一人前になったような大きな勘違いをしてました。
当時、全国で採用された同期は全部で約500人!僕は広島支店の建築営業といういわゆるアパートを地主の人に建ててもらう営業をしてました。厳しいだろうという覚悟はしてました。むしろ仕事は厳しいもの、厳しいからこそ成長もあり、喜びもあると思ってました。
ただ、想像以上に厳しかった。そして売れない(笑)。ゴールデンウィークも終わり、いよいよ先輩たちと同じ扱いになり、休みも無く(休みは盆と正月のみ)、帰る時間も毎日、朝の4時か5時。家に帰って出社するのに1時間半~2時間かかるので誰も帰らず、駐車場の車の中か、事務所の床で寝てました。今ではもちろんそんな事無いようですが、一流のブラック企業(笑)。当時はそれが半分当たり前だと思ってました。
みんななかなか売れず、どんどん辞めていきました。ボクも半年間売れずもうダメだ、辞めようと思いましたが、自分の中で「本当に本気で仕事をしたか?」という疑問がありました。もちろん、言われたことをやり、毎日寝る間も休みもなく働いてました。でもどうしてもそれが本気だとは思えなかった。このまま辞めたらどうしても後悔と負い目だけが残るような気がした。
だから、当時の支店長に
「今月、売れなかったら辞めます。ただ、やめる前に1ヵ月間本気で仕事します。見ててください。」
と告げると
当時の支店長も腹を割って、
「実は俺もヘッドハンティングを受けてて、最後のチャンスと思ったから、それに掛けることにした。だから今月でやめるんや。俺の最後をお前に掛ける。最後の1か月、お前に全てを尽くす。」
と言ってくれました。
もうすでにこの時点で泣きそうになってましたが、1ヶ月ボクに付きっきりで仕事をしてくれました。今でもハッキリ覚えてますが、1年目の9月でした。でも何の成果も無いまま、その9月も終わりが近づき、正直、「俺のこの会社での生活も終わりか」なんて思い始めてた頃、その支店長が、「俺はお前が攻めてるエリアにずっといる。とにかく電話して、熱意を伝えて、上司が近くにいるからすぐに行かせますとだけ伝えろ。あとは俺が何とかする。」と言ってくれ、ギリギリのところで初契約を勝ち取りました。
契約をとれたので辞めずにその後も続け、ボクのこの会社でのサクセストーリーが始まりました。このことがキッカケで「物を売る事は何ぞや」という事を少しだけ分かったボクは、その後も売れに売れ、全国の営業成績もトップクラス。スピード出世もし(嫌味なヤツ)、奥さんも見つけ(というよりも元々同期で友達)たので、この支店長がいなければ、間違いなく今のボクは無かった。本当にありがとうございました。
当時の支店長に書いてもらった「鬼十訓」色々問題になりましたがボクにとっては大切なもの。今でもデスクに貼ってます
それからもたくさんの出会いがありました。良い仲間、いい上司、人生の中で一番嫌いになった人(だいぶ前にこの人の事をブログに書いたのですがこの人から学んだことがありました。その辺はまた、改めて書きたいと思ってます)にも出会い、今のボクを形成する一番大きな時間だったかもしれません。
と言いながらも実はたった2年でこの会社を辞めることになりました。でも間違いなく、この2年はボクの中で最も濃密な2年間でした。辞める時は全国に同期は30人ぐらいしかいないよって言われると何だか頑張ったのかなって変な自信が出てきましたけど(笑)。
ちょっとさらっと書くつもりが、熱を帯びてきてしまい、長くなってきました。あんまり長いブログはボクじゃないので、今回はここまで。次回に続く。