ボクには土台が無い2
京都伏見の不動産会社プラスホームかやまです。
昨日、ふと自分の事を書こうと思い付き、書き出すと自己満足から止まらなくなってしまったので第2回目。
飽きずに読んで頂ける方、ボクの事が好きな方は続きをどうぞ(笑)。
転職先は地元不動産会社
実はボクは少しだけ事務機屋さんにいたことがあります。今では全国展開している会社ですが、ここの労働環境はひどかった。休みが無いとか、労働時間が長いとか、罵声を受けるとかは前の会社で慣れてたし、元々そういったところを苦にする性格ではないのですが、違ったところでどうしても合わずにここは確か、3か月ぐらいで辞めてしまいました。
次の転職先が今では全国展開でフランチャイズになり、一部上場になりましたが当時は地元京都だけにいくつか店舗を持つ不動産会社。昨日書いたレオパレス、さっきの事務機商社、この不動産会社。そうなんです、実はボクが就職した会社は全てボクが退職した後に一部上場企業になってるんです。このボクの素晴らしい先見の明♪将来自分の会社を上場させたい方はボクにコンサルしてもらうといいかもしれないですよ(笑)。
この会社もやはり厳しかったですが、たくさんの仲間や上司、先輩、後輩に恵まれ、この会社を辞めたあと、ボクは全くの異業種である家業を継いでましたので10年ぐらい大した繋がりもなかったのですが、今の会社を立ち上げる時も(今もそうですが)本当お世話になりました。正直、いっときの成績を残してもトータル大した成績は残してませんが、ここでの経験も今の大きな財産となってます。
先ほど、書いたようにボクはこの会社も辞め、家業であるアスファルト舗装会社を継ぎました。10年ほどたくさんの身内たち社員たちと一緒にやってましたがどうしても不動産業をやってた時の充実感やお客さんからの感謝の言葉が忘れることができませんでした。ボクの中では仕事は家族のため。でも自分がやりがいを感じる事が出来ないとやる意味がない。家を買ってもらった時のお客さんからの感動や感謝は他の仕事からは得ることができないものだったんです。
みんなこれぐらい感動してくれます
悶々とした想いを抱えながら仕事をしていたある日、東日本大震災の被災地である、宮城に行く機会がありました。前にも書いたことはありますが(また改めて書きたいと思ってます)一年ほど経った被災地を実際の目で見て、人生はいつ終わるかわからないと痛烈に感じ動き出す決心を固めました。
何のあてもなく自分で不動産会社を始めるというこの行為はボク以外の全ての人から反対されました。が、ボクの中ではもう止まる理由がなかったんです。
ボクには土台が無い
タイトルの「ボクには土台が無い」と言うのは今の不動産会社を起業したのは勢いだけという事です。何か準備や計算をして作ったわけでもない。周りの人達には何でやと散々言われました。
いくら経験があると言っても、もう10年ほど前の話。ブランクもある。その間、変わったことも多いし、そもそも10年の経験が欠落してるからベテランとも呼べない。新入社員がいきなり起業すると言ってるようなもの。
でもボクに迷いはなかった。
ボクは不動産の経験は大したことない。ボクより売る人も知識のある人もたくさんいる。でもボクにはたくさんの出会いがあって、助けてくれる仲間がいて、伝えたい想いがある。ボクから買ってよかったと言ってもらいたいし、そのためにどうすればいいか考える。
いつのまにか起業して、実際に営業を開始して3年ほど経ちました。今でもまだまだ不安だらけだし、明日どうなるかわからないという恐怖があります。
でも土台がない分、知識や経験が少ない分、いろんなことを考えた。「そんなんやっても意味がないで」とよく周りの人からも言われます。でもこうだと思ったら自分でやってみようと思います。試して違ったら変えればいい。
今回のプラスなリノベプロジェクトもそういう考えから
これからも家を買ってもらうことにワクワクしてもらえるように、買ってもらった時に感動してもらえるように楽しいことをドンドンやって行きたいと思います。
#マイホーム購入にワクワクを