SNSとはなにか|自分に厳しくあることが・・・
京都伏見の不動産会社プラスホームかやまです。
先日の高揚感が忘れられず、どうやらこのまま高揚感ありきで来年の春まで行きそうな雰囲気が出てきました。今日はそんな何かに触れることの大切さの話。
自分に厳しくあるという事
ボクは自分でいうのもなんですが自分に厳しい。それを奥さんにも言われたりする。でもどうしてももっともっとやらないとって思っちゃう。たぶん、不安なんですね。そう、自分に厳しいって言うとなんだかカッコイイ感じだけど、本当は不安がりの臆病者。だから常にこれじゃダメだって思ってる。
目標設定が高すぎるから自分に厳しくなれるって言われることもあるけど、実はそんな事無い。正直、目標すらはっきり言えるか怪しい。だから本当のところ、自分に厳しいのか、ただ何かをやらないと不安だっていうことだけなのか自分の中でもよくわからなくなってた。
今でも自分に厳しくいる事の大切さををボクは否定しない。でも・・・
少し想いが変わってきた
自分で会社を起こし、色々とあった中で、自分の中で少しずつでいいから昨日の自分より成長してたいという想いが変化してきた。その想いはずっとあったけど、どっちかと言うと今まではその想いが焦りに変わって、空回りしてた気がする。それでもちゃんと何か行動していればどんな形であれ、成長してると言えるんだけど、実際はそんなに行動も出来ていなかったように思う。
何がボクの想いを変化させてきたのかと言うと、やっぱり人との触れ合いだと思う。色んな人の考え方に触れることによって自分の視野の狭さを色々と感じてきた。自分が正しいわけじゃない。そんなことは分かってたつもりだけど、どこかで自分は正しいと思ってたんだと思う。
自分に厳しいって事は人にも厳しい。
ボクはそこを奥さんにも突っ込まれる。自分の中ではそんなつもり無いんだけど、相手から見ればそうなってる。結局、自分を思いやれない人は人の事も思いやれない。
自分のことを満足に満たせてもいないのに、自分という存在を押し殺してまで「他の人はこう思ってるかもしれないから…」とかそんな考え持てるほど俺は余裕なんてねーよ。自分を少しでも満たさせようとするから相手の事を見れるんだよ、俺は。だし最後の最後に信じれるのは自分自身だろうに。ぬおおお!
— ナスケン|農画家 (@maruhonasu) 2018年10月10日
今朝、こんなツイートを見た。思い知らされた。
この人はナスケン。四日市になすび農家さんです。 ボクの大好きな人の一人。会ったのは一度だけだけど(笑)。
自分のことを見れない人は人の事も見れない。自分のことを思いやれない人は人の事も思いやれない。自分の気持ちに気付けない人は人の気持ちにも気付けない。
自分に厳しいのはいい。でもその厳しさのベクトルがちゃんとボクの目指したいところに向いてたかというとたぶんフラフラしてたんだと思う。
もう少し自分を見つめて、自分を思いやり、自分に正直に生きていきたいなと思った今朝、それを気付かせてくれたのは人との触れ合い、そのキッカケはTwitterでした。
そんな出会いや気付きがたくさんあるSNSはボクの生活の大切な一部。いい時代になったものです。またこれからも目一杯楽しんでいこっと。