便利すぎる世の中や完璧すぎる世の中じゃ

京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。

40過ぎていいおじさんになってきてつくづく思うのは本当に世の中が便利になってきているという事。

 

便利な世の中が果たして幸せなのか

先日、Twitterで


と発信しました。

間違いなく世の中は便利になって、ボクが子供の頃に想像もできなかったような事が普通になってる。

携帯電話なんて想像もしてなかったし、家の中で物を買う事ができるようになる事も、それが次の日に家に届くなんて事も想像できなかった。

でも、そんな世の中になればなるほどどこかで歪みが生じる。

 

24時間営業のお店ができれば24時間営業し続ける体制を作らないといけない。基本、人間は昼間に生活して夜寝る。24時間稼働し続けるって事は当たり前だけどそれを逆転させて夜起き続けて仕事する人間がいなきゃいけない。 24時間稼働のコンビニが出来て、24時間営業のお店が増えてそうしなきゃいけない人が増えた。以前にも24時間稼働する工場や、夜間工事の道路工事(ボクもやってたけど)の人など自分が寝てる間に働いてくれる人がいたけど今は24時間稼働が圧倒的に多い。例えば、年末年始なんか関係なく働いている人がいる。今では当たり前のようになってるけど、ボクらが小さい頃は正月三が日はほとんどのお店が閉まってた。

仕事と言ってしまえばそれまでだけど、でもこういった人たちがいるお陰で便利な世の中になってるのは間違いない。

 

この中のブログで書かれてることが最近ニュースなどでもよく取り上げられてたけど、少子高齢化が進んでいる中で、働く人口は減ってるのに世の中が便利になりすぎ、働く時間も増えてやることは増えている。間違いなく歪みができていると思ってる。もちろん、便利になることを否定しているわけじゃないけど、みんな果たしてそこまで求めてるのかな?

 

一度始めてしまえば、世の中はそこがスタンダードになって、さらにもっとって求めてしまう。でも道路を挟んで向こうにもこっちにも24時間営業し続けないといけないコンビニが必要なんだろうかって思ってしまう。

便利になればなるほどそれを代わりにやってくれている人がいる。便利になりすぎることばかり考えずに不便を楽しむこと(実際楽しかったし)も考えていきたい。

 

誰かが自分の代わりをやってくれている

この発信はもう一つ思うところがあって、ボクは世の中の仕事っていうのは誰かが誰かの代わりにやってあげるもんなだと思ってる。

伏見醍醐を熱くする男

 

例えばボクが家を売るのはそれが人より得意だからだし、農家さんが農作物を作ってくれるのは作れないボクの代わりに作ってくれる、ご飯屋さんは料理にできないボクの代わりに作ってくれる、どんなお店も、会社も何でもそうなんだと思う。それができないボク、それが不得意なボクの代わりにやってくれている。

とは言え、正直そんな当たり前の事忘れてたし、そんな意識になれたのは最近色々な人たちに巡り会えたおかげだけど。

 

だから、お金を払ってるから、税金を払ってるから自分はお客様なんだっていう意識の強い人が苦手。コンビニや居酒屋なんかで横柄な態度だったり、エラそうに言って人が超苦手。

お客様だと言いたいならお店にいる他の人たちもお客様だし、それを見て不快に感じる人もいる。立場なんてものはその瞬間でしかなくて、自分のお店や会社にくればそんなものは逆転する。求め過ぎちゃいけないし、もちろん横柄になっちゃいけない。

 

横柄な態度やエラそうな態度を取る人は正直ボクの中で論外だけど、あまり必要以上のものを自分以外の人に求めるのはさっきのわいざんの発信じゃないけど、相手にそれを求めるって事は相手もそれを求めてくるって事、回り回って自分で自分の首を締めることにつながる。

 

お店に行く時、会社や人に触れ合っていく時、自分がお客さんであろうがなかろうがこの人は自分のできない事、苦手な事を代わりにやってくれているっていう感謝の気持ちは必ず持っていきたい。

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