宣言し追い込む事で自分の力にする
京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。
毎日Twitterやブログで何かしらで発信してるとたまにもう何も考えたくない、考えられないって真っ白になってしまう瞬間があります。
毎日毎日発信してるとふと全く何も浮かばない時がある。
そうです。今日です(笑)#伏見醍醐で燃え尽きた男 pic.twitter.com/pwAIK1XS2O— かやまっち|3/16かやま講演会開催 (@plushome_kayama) February 22, 2019
でもずっとじゃないんですね。その時はあっという間でもある。
しばらくすると、もう次のこと考えていたりする。
少し前に見たナッキーの発信
ボクがよく楽しんでるTwitterでの事。先日仲良くしてるナッキーがこんな発信をしてました。
僕は追い込まれないと動けない人間です。
以前、余裕を持って動く事を試みましたが無理でした。
追い込まれないと動けない自分を否定せず、逆に追いこまれれば絶対に動ける自分を信じて、敢えて自分を追い込むようにしています。
一見、ストイックに見られますが、それが自分に合っているだけです。— ナッキー🐎上迫直生(うえさこ なおき) (@nacky_peppys) February 17, 2019
これ、メチャクチャわかるんです。ボクも昔から追い込まれないとできないタイプ。昔からよくストイックやなぁとか、最後になんとかする男やなぁとおだてられるのですが、まったくもっておだてられるようなことは何もなく、ギリギリまでしないただのグータラです。
ボクの中学からの仲間に銀行マンがいますがヤツは個人的にお前はなんとかするヤツって知ってるからお金を貸せるけど、銀行マンとしてはお前みたいなヤツは一番お金を貸せないタイプやぞと笑われてます(笑)。
ただ、追い込まれないとやらないと言ってもそれを自分が知ってることが大切なんだと思います。ナッキーの言うようにそこの自分を信じられるまで知っていればなおのことイイ!
だから宣言する
ボクは自分で追い込まれないとしないタイプと理解してます。
ブログにしても毎日書くとよく言ってます。そうしないと書けないから。講演なんてした事もないボクが講演会をすると宣言するのもそうです。何かをすると宣言しないといつまでもやらないから、続かないから。だから宣言する。
それ以外に宣言する事で物事に対する見方が変わってくるっていうメリットもある。
先日、優しさを持つことが自分の成長につながるっていう話を書き、そこから他人事を自分事に捉えられるようになりたいって話を書きましたが、
ちょっとここにも繋がっていくんです。
未体験のことを挑戦することで、今まであまり目に入ってこなかったものが見えてくるようになる。
例えば「講演会をやる」と宣言したことで、人が人の前で喋っているという行為に目が行き始めた。先日行ってきた「オンデーズ田中社長の講演会」は仲間のしなやんの挑戦を応援したいという気持ちももちろんありましたが単純に講演ってどんなことするんだろうっていう興味もありました。
今日もボクたちがFBI(伏見情報局)がやってる「醍醐でムービープロジェクト」で縁あって出演していただいた方のお誘いで「フォーラム」ってやつに行ってきました。フォーラムっていうのは公開討論会っていう意味のようです。
もちろん内容に興味があって、知り合いの仕事内容に興味があって、応援したい気持ちがあったのも事実だけど、公開討論会っていう場で人がどういう風に喋るのかっていう事にも興味があった。
これも以前のボクならたぶん行ってない。自分が人前で喋ると決めた事で、色んな人の「人前で話すという行為」が自分事になった。今まで関心もなかったようなことが自分事になり、関心を持つんです。
正直、何かにチャレンジするということはまだまだボクには恐怖がある。恥ずかしいという気持ちもあるし、失敗したらどうしようといういう気持ちもある。でも新しいチャレンジにはその過程だけで新しいことを自分事にし、自分のアンテナを鋭くし、自分の視野を拡げてくれる力がある。それだけでチャレンジには意味があると思う。今があることを知り、苦労を知るからこそ人のチャレンジを心の底から応援できる。
ボクはだから宣言してまた自分のお尻を叩きます。
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