一喜一憂していこう!
京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。
ボクは最近、毎日一喜一憂している。
冷静に思えたのは勘違いだった
ボクはサラリーマン時代、あまり感情に波がなかった。結構、常に如何なる時もある程度冷静に物事を考え、今はどういう時期か見つめ、対策を考えていた(行動していたかは別として)。トラブルが発生しても、もちろん動揺はするけど、結構冷静に対応していたと思う。でも、冷静っていうとカッコいい言葉だけど、最近になって思うのはどこかで仕事を他人事と見て、ある意味では仕事に責任感がなかったのかもしれない。
実際、起業して自分の会社を持った今のボクは動揺しまくりだ。
自分で起業してもうすぐ4年。まだまだ、全く安定してない。毎日のように変化に一喜して、一憂している。昨日、前向きに考えられたことが日が変われば、また不安になり、また次の日になると前を向いてる。感情の起伏が激しい。正直、自分でもビックリしてる部分がある。
結局、自分事になると、不安で仕方ないってことだろう。
一喜一憂していこう!
こうなって最近思い始めたのは、感情の起伏があって、一喜一憂してるのはそんなに悪いことじゃないんじゃないかって事。
以前のボクは後ろ向きなことを考えるな、前だけ見ろってそんな感じだった。だから人にもそんな風を求めていた。
でも実際、生きてたら自分ではどうしょうもないピンチはやってくるし、落ち込みたくなることもたくさんやってくる。ただ今まではそこにフタをして、見ないように、考えないようにしてたんだと思う。もちろん放ったらかすわけじゃなく、自分なりに解決策は考えてたけど、不安や動揺といった沈んだ感情を隠してた。ひょっとしたら見ないようにしてたからそこまで深刻じゃなかったのかもしれないし、どこか他人事で気づいてなかったのかもしれない。
でも最近は毎日のように一喜一憂してる。最初はイヤだった。もちろん今でもイヤだ。でもそうやって一喜一憂している自分をふと冷静に見た時、別に感情は出せばいいんじゃないかって思えるようになってきた。
もちろん、どよーんとした所を人に見せて周りのテンション下げていったり、怒りを周りの人たちに当り散らせって言ってるわけじゃない。
ただ落ち込むときは落ち込んだらいいし、誰かに相談したりしていい。喜ぶときは目一杯喜んで人からウザがられてもいい。
自分の感情を隠していくって事は自分を騙す事でもある。もしくはさっき書いたようにどこか他人事と捉えてるんじゃないかって思う。だから、自分の一喜一憂にフタをせず、出していくことが実は大切なことなんじゃないかって思い始めてます。
気持ちが沈むのがイヤだからっていうのが頑張る源にもなる事もあるし、一喜一憂する自分の感情に気づけないと他人の感情にも気づけなくなる。ってことは人に対して優しくなれなくなる。そんな人にはなりたくない。
もちろん出来るだけ一憂は避けたい。でもボクは人間らしく一喜一憂する自分を受け入れていこうと思う。