やりたい事とやれる事

京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。

先日、嬉しかった事と悔しかった事、そしてやっぱり嬉しかった事がありました。

 

重ねていくうちに生じたズレ

ボク達のグループFBI(伏見情報局)がここのところやりたいと思っていた事があります。色々あった結果、今回はやらない方向になったので何をやりたいのかという具体的な話はここでは伏せておきます。

 

簡単に言うとある場所でボク達のイベントをしたいという事なんですが、メンバーの一人がキッカケで話が少し具体的になってきました。ボクは打ち合わせには行けなかったのですが、最初から相手の反応も好感触でそれを聞いてボク達は少し興奮気味に前のめりになってました。

ヒーローズコーヒー

もちろん打ち合わせはヒーローズコーヒー

 

でも打ち合わせを重ねる中で相手の求める事とボク達の考え、出したい事にズレが生じている気がしました。

 

ボク達FBIは昨年「醍醐でムービープロジェクト」で映画を作ったので今回、先方さんとしてはその映画作りについての具体的な話をしてもらう機会を作って欲しいという要望でした。

ただボクたちはボクたち自身や街に楽しみを作っていきたいという想いがあり、今回はたまたまその取り組みの一つとして映画づくりがあったので、映画ありきになってしまうと少しズレが生じてしまう。上映会などでもその話はするのですが映画ありきではなく楽しむための結果が映画だったという事。一年後には全く違う事をやってるかもしれない。だからボクたちはなぜ映画を作ったのかという想いを伝えていきたいのに、相手方は映画づくりについての具体的な話を求めてきたわけです。それではずっと映画に縛られてしまう。今回だけ映画の話をしてくればいいという事であれば次回がなくなってしまう。

ボクたちはつながりを作りたいわけです。

少し感じるジレンマ

もともとはそういう話ではなかったのですが、映画というキーワードを出すとどうしても話が映画ありきになってしまう。素人が映画なんて作れるのか、素人だけで作った映画ってどんなものなのか、素人だけで作った映画というあまり聞いたことない話、想像しにくい話がキーワードとしてあるだけに映画というものが一人歩きしてしまうところがこれまでもちょくちょくありました。

ここに少しジレンマがあります。もちろん、ボクたちは映画づくりのプロではないし、そこを目指してるわけでもない。だから映画のクオリティや演技、面白さを求めて勝手にハードルを上げられて観ると「なんだこんなものか」と勝手に落胆される。

上映会などでは僕たちの想いを告げてから観てもらうのですがそれでも、中には話の中で伝わってないなと思うところがあります。もちろん、すべての人たちに伝わるとは思ってませんが、それでもボクたちは言うなれば想いを伝えるためにこういう活動をしているのでここはしっかりと考えなければいけない課題だと思います。

醍醐でムービー上映会

 

 

改めて感じた共に悩み、考えることのできる素晴らしい仲間の存在

みんなで悩んだ結果、今回の話は断ることにしました。

昨日、遅くまでみんなで考えた結果、そのような決断になりました。ボクたちの活動は想いでやっているのでそこにブレが生じたり、相手から言われたことに当てはめられて、少しズレが生じているなと疑問に思いながらやっても何も伝わらないと思います。そこは全員一致でした。

今回の件は残念でしたが、改めてみんな想いを持ってやっている事なんだと強く感じましたし、むしろ嬉しくなってしまいました。

FBI(伏見情報局)

 

ボクたちは街おこしを強く大義名分としてやってるわけじゃない。何よりボクたち自身が楽しくなるためにやってます。みんなと楽しめる機会を作るためにやってます。

だからこそ相手の要望に当てはめられるような無理をしてやる必要はないのだと思ってます。

 

今まで感じていた課題が表面化した事でこれからどうしたらいいだろうということを考えましたが、そう簡単には解決することではない。でもこうやってまた、みんなで悩み、考え行動していけばまたそれも楽しみになるんだろうと強く感じた夜でした。

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