優しさに触れる事で人は優しくなれる
京都伏見醍醐エリアを熱くする男かやまです。
最近強く思うことがあります。
優しい人
何だか最近優しいねって言われることが増えた。
さっきTwitterで仲間のロッキーが先日のボクのブログに引用リツイートをしてくれた。
SNSをやっててヨカッタ。だって、こんなに温かいブログから心優しい人たちの想いを知ることが出来るんだから。そして、ぼくも大切な家族や仲間を思いやれる優しい人になりたい。温かいブログをありがとう。 https://t.co/Vyjgzud6Sp
— 田中康一(ロッキー) カナダトレッキングガイド
(@tnk51canmore) March 22, 2019
もちろん、ボクはそう言われて全く否定しません。
ロッキーは遠い異国の地カナダのロッキー山脈でトレッキングガイドをされてます。異国の地で苦労もされてるからこそ身につけたと思われるあったかさと器のデカさを持ってらっしゃるナイスミドル(笑)です。

真ん中の方がロッキー。後ろに写り込んでる人は気にしないでください。
でもボクは思うんです。
人は人の優しさに触れることで優しくなれるんだと。
ボクは今、周りに優しい人がたくさんいて、その優しさに触れて自分が優しくなれたと思ってる。もともとのボクは自分が優しい人間なんて思ってなかった。
そもそも優しい言葉なんてあまりかけられない人だったし(今もそこまでかけられる人だとは思ってない)。自分主体だし。もちろん誰かから何か頼まれたら嫌とは言えない性格ではあったけど、どこかでイイ人に見られたいという欲があったと思う(今もね)。
ただ、周りに優しい人が増えることで、自分がその優しさに触れることで優しさってこういうもんなんだって気づくことができた。優しさを受けることでその喜びを感じる事ができた。だから人にも優しくできるんだと思う。
例えば僕のこと優しいと言ってくれたロッキーはボクのことをよく褒めてくれる。ときにジョークを交えながら。ボクは彼の方がボクなんかより全然優しい人だと思ってる。だから彼はボクの優しさに気づけるし、ボク自身も優しくなれるんだと思ってる。
もちろん最初から、生まれつき優しい人だっているかもしれない。でもそういう人たちは誰よりもまず親から優しさを受けてきたんだと思う。あ、決してボクが親の愛情なしに育ったってわけじゃないですよ(笑)。
ただ、ボクは最近優しい人だって言われる事が増えて(あ、自慢ですよ)、少し思うのは誰かのことを優しい人だって気づける人は優しい人なんだって事。
優しさは循環する。
ボクは周りの人にドンドン優しくしてもらって自分も色んな人たちに優しくしていきたい。その優しさに気づける人でありたい。
コンプレックスも結局は
少し話は変わって、前に同じようなこと書いた気もしますが、ボクは自分の声がコンプレックスでした。でもボクの奥さんや義母がボクの声がステキだと言ってくれた。色んな人たちと触れ合う中でたくさんの人から声がイイよねって言われた。先日もかやま講演会が終わってボクの声がイイと言ってくれた。ボクがコンプレックスって思ってたことは人から見るとステキだって思ってくれるような部分だった。
思うに結局、コンプレックスって色んな価値観の欠如だったり、視野の狭さだったりが原因なんだと思う。
それを卑屈にとってコンプレックスだって決めてるのは結局、自分自身。違う人から見ればそれは羨ましいって思われてることかもしれない。
そう考えると、コンプレックスをなくすためには色んな価値観に触れること。色んな人に触れることなんだと思う。

初めてロッキーに会ったのはこの彦根城ツアー
結局、コンプレックスにせよ、優しい人になりたいとかそういうのも色んな人に触れていく事が大切なんだと改めて感じたロッキーの発信でした。