親としてできることは|Twitter仲間の発信が思い出させてくれたもの
京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。
聞いたことあるかもしれませんがボクはTwitterにハマってます。
いろんな楽しみ方はあると思いますが、ボクの楽しみ方は人とのコミュニケーションです。誰かとやり取りすることも楽しいし、いろんな人の想いや考え、経験に触れることでその楽しさはさらに増す。
今日もメチャクチャ気になった発信があったので少し話させてください。
気になったのはこの発信
ボクのTwitter仲間にあゆっちという主婦の方がいらっしゃいます。そのあゆっちの発信がまさにだったのでどうしてもブログに書きたくなりました。
その発信がこれです。
家庭訪問終わりほっとしています。
幼稚園の面談で「娘さんの性格では小学校に馴染むのは難しい」と言われていた長女😓
心配もなんのその、沢山お褒めの言葉を頂きました。
先生との相性は絶対にあります。
言われた事は意見と受け止め我が子を信じる。
言葉にするのは簡単だけど、難しかったです! pic.twitter.com/p2umY3ar17— わたなべあゆみ|あゆっち⋈ (@bamkerosisters) May 7, 2019
あゆっちは二人のお子さんをもつ母親です。いつもたくさんのことを発信されており、楽しい私生活だけでなく、苦しんでること、悩みなども素直に伝えられてきます。おチャラけた発信もすれば鋭くズバッと言うこともある素敵な発信をボクもかなり見させてもらってます。
今回の発信、何がまさにだったのか。
まさにボクのこと
見出しに書いちゃいましたが、まさにボクのことなんです。
ボクは小学校3年生の3学期の時に転校しました。それまで何の特徴もない教室の片隅にいるような子だった。給食が大の苦手で毎日、昼休み終わりまで掃除時間もずっと食べている子だった。どんな給食の時もそうだった。今思えば、好き嫌い以上に給食そのものに苦手意識があって、「自分は給食が食べられない」って擦り込まれてたんだと思う。
給食という絶対的負い目があり、ボクはどんなことにも自信を持てずにいた。
勉強も真ん中ぐらい(だったかな?)。運動もダメ。もちろん目立たないし、何か役をやったりするような子でもなかった。
ある日三者面談で1、2年の担当の先生が「この子は給食が食べられない限り何をやってもダメ」と言った。あんまりボクは覚えてないけど(笑)。その時、母親が「そんなことない!」と食ってかかった(それは覚えてる)。
先生なりにハッパを掛けたかったんだと今になってみれば思う。でもその頃のボクにそう受け止められる、自信も根拠も経験も無かった。
ボクは益々自信がなくなった。
で、3年生の3学期に転校することになった。引っ込み思案のくせに転校に対してそんなに後ろ向きではなかった。
でもいざ、学校に行くと隅っこにいた。
今までと違ったのは先生だった。
女性の先生だったけど若くて熱血教師だった。(ちなみに1、2年の先生も女性。こちらはベテラン)
この先生はボクに積極的に絡んできてくれ、クラスの中にボクをドンドン巻き込み、居場所を作ってくれた。
ちょうど転校してしばらくした頃に大縄大会があった。ボクは大縄なんてしたこともなかった(この学校は1年から6年まで毎年ある)。元々大して運動神経もないボクは正直イヤだった。でも、先生がそしてクラスメートたちがボクをドンドン巻き込んだ。結果、大縄大会は大成功し、自信がついてボクの人生の中で大きなターニングポイントになった(もうハッキリとは覚えてないけど)。
それからボクは授業中積極的に手を挙げて発表するようになり、中学受験の勉強を始め(合格したよ)、学級委員も毎年やり、生徒会にも立候補し劇的に変わった。5、6年生の時の先生がボクの中に芽生え始めた自信をさらに増長させてくれた。
親としてできることは
ボクは先生によって大きく変わった。
ただ、ボクが言いたいのは1、2年生の時の先生がダメで3、4年生、5、6年生の時の先生が素晴らしいということじゃない。ボクにとってよかった先生だけど、他の子にとってよかったかどうかはわからない。
さっきのあゆっちの発信の言う通り先生には合う、合わないがある。これは人間対人間である限りどうしようもないこと。どんな時代になろうが、いくつになろうがそれは絶対変わらない。ボクも今ですら合う人、合わない人がいる。先生というだけで完璧を求めがちだけど先生も人間。個性がある。どんな人に対しても完璧であるはずがない。ボクは運良く自分を変えてくれる先生と出会うことができた。でもそんな子供ばかりじゃない。それを当たりハズレと言うならそうかもしれない。
でもボクは先生よりも大事なのは親だと思ってる。先生は1〜2年で変わる。転勤もする。確かに一緒にいる時間は長いけど、ボクは子供を育てるのはあくまで親。それを勤務中など時間や、勉強など専門的な部分までできないことも含めてサポートしてくれるのが先生だと思ってる。だから例え当たりハズレがあろうが構わない(子供はそう思ってないけど)し、むしろ当たりハズレがあるのが社会だと思ってるのでそれを学べるいい機会だと思う。
親としてできることは、まず子供を信じてあげること。ボクの母親はボクを信じてくれた。あゆっちも自分の子を信じた。それは子供にとって絶対的に大切な事だと思う。
ただ、先生の言うことにも耳を傾け尊重し(とはいえ奥さんや子供達からの又聞きだけど)、子供の言うことばかりにもならない事。特に父親であるボクは冷静になることも大切だと思ってます。でも絶対的に子供の味方で、最後は頼れる存在で何があってもここにいると言う安心感を与えることが大切かなって思いながら、娘たちにいつも必要以上にアピールしてます。色々あって苦しんでる子供たちに安心感を持たせてやることはとっても大切なことだと思ってます。ボクは優しい言葉なんてほとんどかけないし、恥ずかしくて子供の悩みなんかも聞けないからそこは奥さんに100%頼ってますけど(じゃあアンタは何してるんだって話はしないで)。
最後にもう一人のTwitter仲間のナッキーのブログを読んでボクにとって親とは語りたくなったので書いちゃいました事を付け加えさせてください。
熱くなるめっちゃいいブログなのでぜひ読んでほしいなぁ。
何かを議論していて、つい「人それぞれだから。」という言葉を使ってしまいます。
確かにその通りですが、それでは議論は深まらないし、成長にも繋がらないと思います。
「人それぞれだから。」という言葉に逃げない。
そんな想いを書いています。#馬と子どものしあわせ日記https://t.co/ev4qj1eFof— ナッキー🐎上迫直生(うえさこ なおき) (@nacky_peppys) May 6, 2019
最後にそんな父親というものについて語るクロストークショーが6月に大阪で開催されます。詳細はこれから詰めていきますがそれぞれいい父親だとは思います(笑)。そちらもぜひ!!