ただ見守る事が優しさか

京都市伏見区醍醐エリアを熱くする男かやまです。

普段はプラスホームという不動産屋として家を売ったり借りてもらったりしながら、自分の働く街、住む街である伏見区の醍醐エリアに楽しみを見つけるため色々やってます。

 

心の声がボクに違和感を与える

ボクは今まで例えば何かにぶつかったり、悩んだりしてる人を見た時、基本的にボクは最後はその人の力で立ち直るしかない、乗り越えるしかないと思ってるので、心の中で応援はしていても、直接こちらから声を掛けたり、何か行動するって事はありませんでした。もちろんわかりやすく相談に乗ってほしいと言ってもらえる人は相談に乗りますが。

 

ただ、いつも心のどこかで「それでいいのか?」って声が出てたんです。

プラスホームかやま

オマエはそれでいいのか

 

手を差し伸べるという高いハードル

そもそもこれに関わらず、ボクにとって優しさや善意の行動ってのが意外とハードルが高い。

手を差し伸べる事に躊躇がある。

 

「ありがた迷惑」って言葉があるようにボクにとって良かれでやった行動が当人にとっては迷惑かもしれない。それがボクにとって必要以上に重くのしかかり行動を躊躇させる。

何ででしょうね?今までそんな感じでそもそも行動できてないから「ありがた迷惑や」なんて言われたこともないクセに。「価値観は人それぞれだから」って言葉で自分をだましたり、最初に書いた「自分の力で立ち直るしかない」と言って逃げてた。

もちろん価値観は人それぞれだし自分の力で立ち直るしかないのは間違いないんだけど。

 

ボクの壁を少し取っ払ってくれた出会いたち

最近、SNSで出会いが拡がり、たくさんの友達ができた。オンラインでの繋がりは物理的な距離を超え、全国に友達ができた。

でも同時に物理的な距離を超えたオンラインでの繋がりはオンラインが途絶えると離れてしまう。仲良かった友達で今どうしてるか全くわからないって人もたくさんいる。

友達なんていつかは離れていくこともあるし、また戻ってくる事があることももちろん知ってる。考えは人それぞれで単純に他に忙しかったり、少し距離を置きたくなったりすることもある。

 

でもやっぱり思うんです。

 

 

何が出来るかなんて分からない。でも手を差し伸べてから考えてもいいんじゃないかって思ってます。もちろん「アナタの事を思って言ってるのよ」なんて言うつもりはない。

ただボクは今までたくさんの優しさをもらってきて嬉しく無かった事なんてないんです。

「かやまの夜会」しろーちゃん、はっち、ふなっちと

「かやまの夜会」おーえむ、カノーんと

すみへい

喫茶すみへい店主すみへいが伏見区醍醐上陸

トモミン

東京のトモミンがまさか伏見区醍醐へ

からっち

新潟のからっちと近所のハンバーガー食べてます

かやま講演会

初挑戦かやま講演会に全国から集まったオモロイ人たち

森さんともさん

わざわざ京都にラーメン食べにくる奈良のおじさん二人

北海道のタムタムと京都でランチしてます

藤田さんとボク

香川のゴキゲンさんがプラスホームに来てゴキゲン

 

ただ見守る事ももちろん優しさだけど、手を差し伸べられる優しさを受けてきてボクは優しくなれた…たぶん(笑)。だから同じように手を差し伸べていきたい。

 

そして何より助けたいと思う人を助けることで何よりボク自身が満たされていく。それはある意味で自分勝手なのかもしれない。でもありがた迷惑と言われることになっても、偽善と言われてもボクは大切な人が困っているのを見てまたあの違和感の声が聞こえたらボクなりの優しさを振りまいていこうと思う。

 

これからは見守る優しさを否定するんじゃなく、そこに隠れているボクの違和感を否定したい。

 

かやまは京都市伏見区でプラスホームという不動産会社を営んでおります。

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