誹謗中傷は自分自身を苦しめるだけだよ

京都伏見の醍醐エリアを動かす男かやまです。

普段は不動産屋として家の売買や貸し借りのお手伝いをしながら、自分の働く街、住む街である京都市伏見区の醍醐エリアを楽しむために色々な活動をしております。

最近は地域情報誌的なFacebookページ「伏見醍醐ネットワーク」を作りました。

 

人、お店、取り組みなどなど醍醐エリアの色々なものを取り上げていきたいと思いますのでぜひ楽しんでください!

 

さて今日はしばらくちょっとモヤモヤしてる事を真剣に考えてみました。

結果、少しいつもより長めになってしまいました。お前なんかが偉そうに言うなと思う人もいるかもしれません。でもボクなりに真剣に考えました。考える中でボクも誹謗中傷してる人に対して同じ事をしてるのかもしれないとも思いました。でも真剣に考えそれをまとめて少しでも誰か一人でも誹謗中傷が全く無意味で、自分自身含めて誰の得にもならない行為だと言うことが伝わればと思って書きました。最後まで読んでもらえると嬉しいです。

 

白か黒かの選択肢は苦しみしかない

物事には白か黒かしか無いと思ってる人がいる。

 

数年前のボクである。

 

いや、数年と呼ぶほど前のことではないし、今現在のボクもついつい白黒ハッキリつけたがるところはある。でもこれが試験なら2択問題で楽でいいが、生きていくうえで答えは白か黒しかないという2択は苦しみしかない。

白黒しかなければどこかで違うと思ってもどちらかを選ぶしか無い。自分の意思など無くなってしまう。

 

ボクは少し世界を拡げ、世の中に色んな人がいることを知った。今まで白か黒しかないと思ってたものが他にもいろんな選択肢があることを知り、それまで白なのか黒なのかと悩んでた自分を認めることができた。

価値観は正解、不正解ではないのだ。

 

白黒つけたがる理由

ある人には白に見えるものでも違う人から見ると黒に見える。人の価値観によって白か黒かはまちまちだし、もっと言えばその時の気分によっても変わる。昨日「白」と言ってた人が今日「黒」と言ってる事なんていくらでもある。

でもなぜか白黒つけたがる。性善説、性悪説もしかり。でもほとんどの人がある部分では「善」で、ある部分では「悪」だと思う。

やる気に満ち溢れる時もあれば怠ける時もある。正義感に燃える時もあれば全てを壊したくなる時もある。損得考えずに行動できる時もあれば打算が働いてしまう時もある。

そんなことはみんな分かってる。なのになぜ白黒つけたがるのか。

 

自分のことを言わせてもらうと、どこかに答えがないと不安なのである。そしてどこかで自分の信じてるものを正義だと思いたがる。

 

不安と自信のなさ

 

原因はそれだと思う。

 

誹謗中傷はむしろ自分を追い込む

正義や正論なんて人それぞれ。それぞれの正義を信じるのは自由だと思う。ただそれを正義だと言って振りかざすとそれは暴力になる。言われた方はぐうの音も出なくなる。

 

 

正義は自分の成長のために心の中で変化させ育てていくものだとボクは思ってる。でもそれがなかなか出来ないのはやっぱり不安と自信のなさなんだろう。自信が無いものであっても正義だと声を出して言えば相手はぐうの音も出なくなるのだ。

 

あくまでボクの意見だけど誹謗中傷もその延長線上だろうと思ってる。

ハッキリ言って自分のことで精いっぱいなボクには人のことをとやかく言う気持ちは分からない。

でもボクなりに考えてみるとこれも原因は不安と自信のなさなのではないかと思う。

だから間違いなく弱いもの、間違いなく間違ってると思われる部分にしか攻撃できないし、たぶん多数決を取ったら黒が多いと思われるものしか攻撃できない。自分の価値観というよりもどこかで価値判断を大衆に依存してるのだろう。

 

単純に自分のストレスのはけ口にしてる人もいるだろう。でもおそらく誹謗中傷してる人は自分が正しいと思ってたり、むしろアドバイスして助けてあげてると思ってる人も多いのではないか(と信じたい)。

 

はけ口にしてる人にはそんなことして何の意味があるのかと問う事しかできないし、ストレスだと言い訳するなら誰かをはけ口にして解消される程度のストレスなんか大したことないと思ってる。ここを考えると本当に文句しか出てこないのでこれぐらいでやめておく。

 

ただ、自分が正しい、人にアドバイスして助けてあげてると思ってやっている人には偉そうなのは百も承知で言いたい。

 

世の中、白か黒で答えを出すもんじゃない。もちろんグレーもあるし、青や赤、黄色いろんな色がある。いろんな人がいることを知り、それを認めることに面白さがあるし、何より自分が違和感を感じるところにこそ成長の余地があると思う。価値観を壊すことで今までの自分が感じていた壁は取り払われる。

そもそもだけど、いろんな色があることを認めることができれば自分の色が白じゃなくても自分のことを認められるようになる。誰かの黒だと思う部分を叩かなくても自分の存在価値を自分で認めていけるようになる。人を認めることに自分を認めることができる道があるんだと思う。

 

誹謗中傷はいずれ自分に返ってくると言われる。

もちろんそんな事を言ってる人の周りにはそんな事を言う人ばかりが集まってくるという事もあるけど、ボクは何より色んな価値観を認めないといつまでたってもさっき書いた多数決で決められたような黒を叩くことでしか安心感をもたらせない、大衆の価値判断ばかりうかがうことしかできない人生になってしまう。そんな人生こそが自分で自分を誹謗中傷してないか。

そんな事よりもっと色んなものを認めてあげよう。それで自分も認めてあげよう。

 

人の一面だけを見て白か黒かハッキリさせる必要はない。全部見た結果、白でも黒でもなく黄色でもいい。いろんな見方、いろんな色があるから面白いし助け合うことができる。あなたの色は何色か探してみよう。人の色を否定するなら自分の色を自慢しよう。

 

絶対にその方が人生楽しくなる。

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