誰かや何かのキッカケになりたい

京都市伏見区の醍醐エリアを熱くする男かやまです。

 

ボクは昔、小学校低学年ぐらいの頃、教室の端でおとなしくしている目立たない子供でした。

 

自信なんてものは

以前ブログでも書いたけど、ボクは給食が大の苦手でそれを先生に否定されたことで自分に全く自信が持てない子でした。

 

別にその頃の先生を否定してるとかじゃなくて結局、自信なんてものは何もなし得てないボクのような人だと簡単に揺らぐし、逆もまた然りで少しでも何か成功すれば簡単にそれが自信につながる。

小学校時代のボクは全く自分に自信が持てなかったのに、少しのキッカケで前に出て発表したり、何か役をするようになった。それが自分にできるって自信につながるから次にまた、一つ大きなチャレンジができるって事を知った。

プラスホーム佳山

人と一緒に何かをするってことが

結局、何でもキッカケって大きい。

いいねいいね

 

例えば、大勢の前で発表するって勇気がいる。第一発目の発言なんて余計に勇気がいる。一人誰かが喋り出すと他の人たちが一斉に喋り出す。

例えば、たま〜にだけどボクは駅前でチラシを配る。改札から出てきた一人目がチラシを受け取ってくれると二人目、三人目と受け取ってくれるけど、一人目が受け取らないと、もう誰も受け取ってくれない。ちょっと例えが悪いかもしれないけど、人間の心理ってそういう部分がある。

 

行動や、発言には必ず何かしらの躊躇が出てしまう。もちろん出ない人は素晴らしいけど、どうしても「これ言って、いやそれは違うよって思われたらどうしよう」とか、「これやって、そんなん意味ないやんって言われたらどうしよう」とか誰かに否定されたらって一瞬頭をよぎる。実際はどうかは別として。

 

子供の頃、教室の片隅で手も挙げられなかったボクは自分自身が特に最初の人になる怖さが分かってる。いや、正直、今でも怖い。

でもだからこそボクはあえて、自分が一発目の発言をしてみんなのキッカケになれればいいと思ってる。ボクの意見なんか大した事無くても、その他の多くの人が言いたいことが言えて、その中に素晴らしい意見や考えがあればこんな素晴らしい事はない。それが結果自分の為にもなる。そう思いませんか?

だからボクは誰かや何かのキッカケになりたい。出来るだけね(笑)。

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