言論の自由って何だろう

京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。

政治家や有名人が頻繁に取り上げられてしまう「失言」

失言防止マニュアルなんてのができるとかできないとか。その前に考える事もあるように思う。

 

失言って何だろう

失言が多いのは政治家のイメージ。なんでこのタイミングでこんなこと言うんだろう。そもそもなんでこんなこと言うのかな。って思うような失言は多い。最近であれば丸山議員の戦争失言。少し前の桜田前五輪担当大臣など特に政治家はその立場と発言する機会の多さから失言と捉えられやり玉に挙げられるケースは多い。

芸能人にしても「不倫は文化だ」とか「僕ぐらいビッグになると・・・」(ボクの年代ってわけじゃないっすよ!あえて古いのを取り上げてるんですよ!)とか色んな発言があった。

調子に乗る

 

いい事言ってやろうとか、面白い事言ってやろうとか、強い言葉を使えばより注目されるんじゃないかっていう意気込んだ注目されてる人たちだからこその失言もあると思う。

マスコミによって少し悪意に満ちた編集をされてる失言もあると思う。

単純に言い間違いや知識不足、配慮不足っていうのもあると思う。

 

その発言の一部始終をその場で見たわけでも無いボクが、どの発言が失言だとか、失言を取り上げてこうしたらいいとかそんな事を言うつもりは全くない。そもそもそのための知識もない。

 

社会的に批判される以上、その発言は失言なのかもしれない。でもそれが失言だという人はなぜそれが失言なのかを考えてほしい。みんなが言ってるから失言に決まってるじゃないかというあやふやな考えならそれが失言だという発言はしない方がいい。人の意見を鵜呑みにして思考停止し、あの人が言ってるから、世間がそういう流れだからでは、その政治家の、その有名人の発言はあなたにとっての失言では無い。いずれそのあやふやな批判が自分に返ってくることもある。それも言論の自由かもしれないけど。

 

失言をしたと言われてる人へ

逆に失言した人も考えてほしい。アナタの発言はなぜ失言だと言われているのかと。

日本は言論の自由。でもそれは何でも言っていいという事ではない。言いたい放題で良いという話ではない。その発言で傷つき、悲しむ人がいる。それを不快に思う人がいる。怒る人がいる。その発言に対し敵意をむき出す人がいる。笑えない人がいる。

特に発言に注目が集まる人は考えないといけない。この発言をすることによってどんな想いをする人が現れるのかと。

話を聞こう

 

 

何の存在でもないボクですら例えばSNSなどで少し注目を受けたいばかりに強めの言葉だったり、背伸びした発言だったり、タイムリーな発言、面白い事を言ってやろうと意気込んだ発言をしてしまう。注目を集めるような人たちはその比じゃないでしょう。

だからボクは失言に対して責める気持ちは無い(もちろん発言内容にもよりますが)。

 

ただ、その発言を発する前に己の影響力の強さを考えてほしい。そして失言だと言われたなら思い返してほしい。なぜ失言と言われるのか。「俺は間違ってない」では無く何か原因があるのかと反省してみてほしい。それでも結果、自分の発言が正しいと思うなら堂々と正しいと言えばいい。それがその人の個性でしょうから。それが受け入れられるかどうかは別として、覚悟を持ってその想いを、個性を発信する必要がある。

 

言論の自由って何だろう

言論の自由って何だろう。ウィキペディアで調べてもボクにはよくわからない。

 

ただ、言論の自由って言われてもボクには今現在そんな自由があるとは思えない。

あったとしてもそれは形だけで、何か発言すればすぐに世論の大きな波の中で批判にさらされてしまう。

特に今の時代は許されない世の中で、何か発言するともう二度と許されないといった傾向が強い。確かに一度たりとも口にしてはいけない言葉はあるのかもしれない。注目を集める立場もあると思う。配慮に欠いた発言はもってのほかだと思う。

でも、ボクは口が滑る事もあれば、失言をしてしまう事もある。さっきも書いたようにSNSなんかや実生活でももっとよく見られたいと思って調子になった発言もたくさんある。

かやま

 

ボクは自分が出来ない事を他人に強要は出来ない。だから他人に失言があったとしても次のチャンスを与えたらいいんじゃないって思ってる。

 

人それぞれ自分の言葉がある。それらを発する事にもう少し寛容であってもいいんじゃないか。

そうじゃなきゃ、誰も言葉を発する事が出来ない世の中になる。それはもはや言論の自由とは言えない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です