なぜブログを書かなくなって2ヶ月経ってしまったのか

京都の伏見区醍醐エリアを熱くする男かやまです。

いやぁお久しぶりですね。ブログの更新をサボってなんと2ヶ月以上経ってました。ブログを書き始めて4年ちょっと。最初の頃はたまに更新する程度。3年ほど前から毎日更新するようになって、数か月前に毎日更新をやめましたが2ヶ月も空いたのは初めての事です。

今日はプラスホームの5回目の誕生日と同時にボクの奥さん(そう言えばみんなは自分の奥さんの事を他人にいう時なんて呼んでるんだろう?)の〇〇回目の誕生日なので久しぶりにブログを書く事に決めました。

何を書こうかなって思いましたがまずはそもそも何で2ヶ月も空いたのかって話ですよね。書くのが面倒臭くなったりただサボってたわけでも無いんですね。もちろんゼロとは言わないけど(笑)書きたいことはたくさんありました。

せっかくなので今回はボクがなんで2ヶ月も空けたのか、その辺を書いていきたいと思います。久しぶりなので結構長いですが少しお付き合いください。

 

インプット・アウトプットを少し制限したかった

理由は色々あって一言では言えないんですが大まかに言うと意識してインプット、アウトプットを制限してました。ちょっと周りの情報や価値観を見るのを制限したり、ボクの考えを発信する事を制限したかったんです。

シャットアウトとまでは言いませんが…

シャットアウトとまでは言いませんが…

 

今日でボクの会社プラスホームを設立して丸5年が経ちました。山あり谷あり、紆余曲折を経て今日まできましたが全くボクの理想どころか正直ここ一年ぐらいは下がりっぱなしです。

それには色んな理由があって、自分なりに整理してある程度の原因は分かりながらどこかでそこから逃げてる所がありました。今まで「楽しむ事は悪である」、「楽しむ事は楽する事、現実から逃げる事」という価値観が頭の中の大半を占め、どこかで楽しみ人生を謳歌してる人に対してコンプレックスがあったボクに人生を目一杯楽しみながら頑張っている人たちとの出会いはちょっと眩しすぎたのかもしれません。そちらが楽しくなり、仕事がおろそかになってしまっていたことも否めません。そう、「楽しむためにもがき苦しむ」はずが「楽しむ事は楽する事、現実から逃げる事」になってしまっていたのだと思います。楽しいものばかり見て、自分が楽しむ事ばかり考え、将来こんなことがしたいという事ばかり考え、足元をおろそかにしていたんだと思います。

 

そこから脱するためにボクはインプットを少し制限しました。人の発信や価値観を意識的に少し遠ざけ、同時にアウトプットも制限しないとまた色んな価値観を得ようとしてしまうのでブログもストップしました。色々見るとまた、そこに逃げたり、自分の決めた事に揺らぎができるような気がしたので、この2か月間はとにかく一点集中、自分のために仕事しました。それこそ寝る間、食べる間も惜しんでがむしゃらに仕事する事で原点に戻れたと思うし、何が大切かに気付く事が出来た気がするし、少し光のようなものも見えた気がします(正直、まだそれが光かどうかも分かってないけど)。

 

ブログをどうしたいのか悩んでる

このブログを始めた当初、自分の仕事である不動産関係の事、ボクが働き、住んでいるこの街の情報、そしてボク自身の想いの3つを柱に更新していこうと決めていました。当初、バランスよく書いていたつもりでしたが、徐々にボクの想いばかり書くようになってました。

自分の想いを書く事はネタ切れになった時に都合が良いんですね。慣れればいくらでも書ける。そして何より自己満足で気持ちいい。人から「イイですね」とか「わかる」と言ってもらえれば余計に気持ちいい。ああ、オレこのままでいいんだ、認めてもらってるんだって究極の自己満足に陥ってしまう。しかも毎日書き続けるとそれだけでスゴいですねってほめてもらえる機会も増える。

そこに違和感を感じ始め、これではダメだとは思いながらついつい書き続けてました。

思い切って毎日更新をやめ、しばらくしてちょうどとにかくがむしゃらに仕事をしようって決めたので、ブログも絶とうと決めました。ブログをどうするかはまだ全く決めていないのでこれからもついつい想いを書く事優先でいながら迷い、続けていくと思います。面白くない文章も増えていくかもしれませんが止めるつもりは全くないのでこれからもよろしくお願いします。

 

インプット・アウトプットを制限しブログを絶ったことで

約2ヶ月あまり何も考えずとにかくがむしゃらに仕事しました。

プラスホーム佳山

自分不器用ですから…

 

ボクは自分の事を心の強い人だと思ってたんですね。でもそれは大きな勘違いだった。挑戦や大きな試練から意識的に逃げてただけだった。ウマく生きているつもりが大したことをしていないだけだった。自分にできる事をこなしているだけだった。

試練にぶち当たった時、ボクは自分の弱さを知りました。楽しんでる人たちを見てただうらやましかっただけだという事を知りました。余裕がなくなると人の良い所だけ見て真似したくなり本質を見なくなる自分がいました。いくらカッコイイ事言ってもボクは弱いんです。だからどこかで制限しないと逃げてしまうんです。

でもこの期間、何かを感じ心配してくれる人がいました。何も言わず待ってくれる人がいました。そっと手を差し伸べてくれる人がいました。今までのボクはどこかでカッコつけて、心配してくれる人に対して何ともないふりをしたり、手を差し伸べてくれる人に強がったり、そもそも自分の弱みを見せることも無かった。それを素直に受け止める事ができたのは大きな経験だと思います。

「かやまの夜会」しろーちゃん、はっち、ふなっちと

 

自分の弱さを知り、人の優しさを知り、そこに寄り添っていける本当の強さを知って少しは成長もできたかなと思ってます。

 

今、ボクの大切な仲間たちももがき苦しんでると思います。もちろん知ってる人だけじゃなくボクの知らない人たちも。そんな時、何もかもシャットアウトしたくなる時がある気持ちをボクは知ってる。今まで心地よく、自分のエンジンを回すガソリンだったはずの仲間の応援が心のどこかに余裕がなくなる事で重荷になり枷になる事がある。手を差し伸べられてもそれが申し訳なくなる事もある。

そんな時はシャットアウトすればいいんだと思う。ボクの場合は弱いからどこかで誰かと繋がっていたいのでシャットアウトまでする勇気はないけど、それが必要ならそうするべきだと思う。いつかまた仲間の応援が心地よくなったときに帰ってきて一緒に笑いあう事ができればいい。それまで待ってる事も大切な応援だと思うから。でも、一人でもがき苦しむだけではやっぱりもたない。家族や仲間たち、大切な人たちと楽しく謳歌しながらもがいていきたいですね。

「かやまの夜会」おーえむ、カノーんと

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