応援する事が自分の豊かさになる
京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。
醍醐、醍醐と言い続けると醍醐で何かをする人から声が掛かりました。
所詮はただの一件です
声が掛かったと言っても、これは実質ただの一件目ですし何かお手伝いができたわけでも無い。でもボクは確実にこういう事がやりたいって思えました。以前から「醍醐で何かしたいんだけど」という人達の力になりたいって思ってました。でも声がかかるわけでも無く、自分に何か応援できる力があるわけでも無い。実際、漠然と思い描いてただけなんです。
でも、こうやって声を掛けてもらい、少しお話をすることでその考えは少しだけど現実的なものになった。
もう一度言いますが声が掛かったって言っても所詮はただの一件です。何の力になれたわけでも無い。
でも今日、その方の個展を見てきました。
個展と呼べるか「空いてる家があるからやってみた」というノリですが、気軽にでもそういう何かしたい、って方はたくさんいると思う。ボクは街の不動産屋として少しでも多くのそういう人たちの声を吸い上げていける人になりたいなって改めて思いました。
作品は昔懐かしい見てて何だかホッとするようなステキな世界観でしたよ。
実際に色んな所を旅されて全国各地で見た建物や童話などの世界観を粘土とか色々な材質を使って作品にされてましたし、絵も描かれてました。
応援したいと思える人を
ボクは昔から人を応援したいという気持ちが強いとは思う。たぶん自分自身に夢が無かったから人の夢や目標に乗っかっていたのかもしれない。人にとっては迷惑だったかもしれない。
ただいくら応援したい気持ちが強いって言ってもボクはいい人じゃないのでボクの好きな人しか応援できません。
ボクは人を応援するのが好きだ。でもボクはいい人じゃないので自分の大好きな人しか応援できない。
人の豊かさとはどれだけ応援したいと思える人がいるかという事じゃないかと最近つくづく思う。#伏見醍醐を熱くする男 pic.twitter.com/YVFG24qFT1— かやまっち|伏見醍醐を熱くする男 (@plushome_kayama) 2019年4月4日
本当に応援が好きな人や応援力のある人は分け隔てなくやってるかもしれない。
さらにボクは 自分に余裕のある時しか応援しない。金銭的にも時間的にも。
唯一常にやれる応援は励ましやこの人応援したいって人に伝える事ぐらいです。それ以外は自分に余裕がないとできない都合のいい応援なんです。それは応援じゃないと言う人もいると思う。
でも応援すればするほど感じるのは応援してる時の気持ちにウソもないし打算とか損得とかもないって事です。ボクはただ単純に大好きなその人を応援したいって気持ちだけってこと。
今朝のTwitterでも発信したけど、人としての豊かさってそういう部分が大切なんじゃないかって思う。
大好きなあの人をただただ純粋に応援したい。
そういう気持ちを少しでも多く持てることが人として豊かなんじゃないかと実際に応援してる人たちを見ても思うし、自分が応援したいと思える人たちが増えれば増えるほど思う。
だから、ボクは自分の都合のいい応援だったとしても、これからもっとたくさんの人たちを応援していきたい。そしてまず自分の街で何かしたいという人の応援団になりたい。