終活セミナーってやつに行ってみた。

京都伏見の不動産会社プラスホームかやまです。

今回はちょっと長くなりそうなのでいきなり始めてみます。

 

自分の中で否定しているもの、遠ざけているものをあえて受け入れて見る

だいぶ前にブログでも書いたことがありますがボクはあえて自分の中で否定しているもの、自分の中で遠ざけているもの、自分の考え方とは違うというものを受け入れる行動をします(たまにですが)。

 昨日もTwitterでそんな事をつぶやきました。

 

例えば、自分の中でこの人は好きになれないなと思ってる人の本をあえて読んだりします。すると、思ってたよりも自分と考え方が近かったりします。また、違った考え方でも大きな発見につながったり、勉強になることが多くあります。もちろん、何にも響かず途中で止めることも多いですけどね。

 

自分で起業し、全てを自分で判断する自由を手にすると、どうしてもそこに偏りが生じます。自分が正解なんだから、思うままに攻めていくという意志の強い方はそれでいいですが、ボクはいつも不安になっちゃう。だから正解のない社会の中で少しでも多角的な視野を身に付けたい。そんな理由であえて、自分と違う「異質」に触れ、偏りを無くしたい。同様に変化のスピードがとんでもなく早いこの社会で、いわゆる不変の座右の銘的なものは持たないようにしてます。今日の正解が明日の不正解になる可能性がある時代に変わらず持ち続ける事は危険な気がしてます。とは言えそこまで毎日、成長し続けてるかというとそんな事は無いし、その時々でなるほどと大切にしてる言葉もありますが。

 

ボクは変わらず大切にしているものは持ち続けてるので芯の部分は何も変わっていないけど、何でも否定から入るのは損だと思ってる。だから自分の中で一見違うなと思えるようなものでも受け入れることのできる器の大きさを持ちたい。

 

終活セミナーへ行った理由

似たような理由で先日、終活セミナーというものに行ってきました。言葉通り人生の終わりに向けてする準備のためのセミナーです。その中でも今回はその事を人に教える、アドバイスできるようになるためのセミナーです。

終活セミナー

 

ボクは死というものを遠ざけていました。いや、今も遠ざけてます。そんな事はできれば考えたく無い。もともと今が楽しければいい。そんな考え方の人間ですから。両親も健在ですし、奥さんの両親もご健在ですのでおかげさまで死というものが遠くにあります。以前に祖母が亡くなった時に奥さんが少しそんな話をしてきましたが、そんな事は考えたくないと切り捨てました。

でもホントは遠くないんですよね。東日本大震災の被災地に一年経って行った時、ボクの人生観を変える衝撃を受けました。人生いつどうなるかわからないという事をそこで初めて知り、自分で不動産会社を起こす事を決断しました。そうなんです。誰もいつどうなるかわからないんです。

でも今回、終活セミナーへ行った理由はそこじゃない。

 

今まで遠ざけていた部分に触れようと思ったのは、ボクはただの不動産屋さんでいたくない。街のみんなの行きつけの不動産屋さんになりたい。家を売るだけだとどうしても売って終わりの関係になってしまいがち。でもそれじゃあ普通の不動産屋と一緒。ボクが自分で始めた意味がない。

家を買ってもらっても、その後も色んな相談を受けられるよう、ボクが色んな事を知っていたい。困った時に「アイツに聞いてみたら何とかなるんじゃない」と言われる存在になりたいもっと言えば街のみんなの行きつけの不動産屋ですから、家を買ってもらった人だけじゃなく、街のみんなが「アイツに聞いてみたら何とかなるんじゃない」と言われる存在になりたい

今回、そのための一つの手段としての終活セミナーでした。だから興味のなかったことでも楽しくなってくる。そこにハッキリした想い、目標があるので。もっと地域のお店なんかを知りたいと思い始めたのもそんな理由です。

 

もうちょっと勉強して、楽しくみんなにもいろんなアドバイスができるようになれたらいいなと思います。

 

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