優しさとは|佳山光徳(みつのり)改め佳山仏徳(ぶつのり)とお呼びなさい!

京都伏見の醍醐エリアを熱くする男かやまです。

今月早くもブログ更新も3回目!先月を超えました!!やればできる子やなぁ…

ところで基本ボクはブログを書くときまずタイトルを決めてそれについて書くというスタイルです。でも今回タイトルが全く決まってません。初めて書き終わってから最後にタイトルを考えるスタイルでいってみます!

 

優しさの定義

この間、奥さんと話してる何気ない会話の中で、ボクが優しくなったという話題が出ました。なのですかさずボクは「佳山光徳」(かやまみつのり)という本名を改め仏の心を手に入れた今日から「仏徳」(ぶつのり)と呼びなさいと言いました。

日野法界寺

門下生募集中です…です…

 

というしょうもない話は置いておいて、なぜ優しくなったのかを考えました。最近出会った人たちはボクの事を優しい人だと思ってます。いや、実際優しい人なんですけど。

最近優しくなったというより優しさの矛先が変わったというか追加されたように自分では思ってます。

 

それはやっぱり人との出会いなんですね。人との出会いで色々な価値観を知る事で例えば優しさにも色んなカタチがある事を知った。

ボクが優しさだと思っても人によればそうは受け取ってもらえない場合がある。知らずにそれを押し付けてしまえばそれは優しさでは無くもはや暴力となる場合もある。価値観が違えば捉え方が違う。それは当然だけど良かれと思った事が暴力だと捉えられるほど悲しいことはないと思う。

本来ボクはどちらかと言うと遠慮がちで(自分で言うな)、これをやったり言ったりすると相手にとっては迷惑になるかもと考えすぎて、結局何もしないというパターンが多い。それは無難で敵は作らない。でも本当の味方も作らないのかもしれない。迷惑を掛けるぐらいなら何もしないというのはある意味では正解なのかもしれないけど、やっぱり寂しい気がする。

 

今、ボクと深い関係性でいる人たちはどの人たちも意見や思考、想いなんかをすり合わせてきたり、時にケンカするほどぶつかってきたりしてきた人たち。最近はSNSやブログなどでボクの想いを読んでくれたり、逆に読まさせてもらった人たち。

もちろん、たくさん距離感や価値観を間違え痛い目も見ました。何も言われなくても言った後でこれは違ったんじゃないかと考え悩む事もありました。でももしその人の事を本当に好きなら知る努力、知ってもらう努力はするべきなんだと思う。

そうした人たちを増やすことで本当に優しい人になれるんじゃないかと最近思うようになりました。受け入れるいれないは別としてボクはそのたくさんある価値観を知ってるか知らないかがその人の人としての大きさだと思うし、優しさに繋がるのだと思います。

 

たくさんの人たちが京都市伏見区醍醐エリアに来てくれる

SNS、特にTwitterを楽しむようになって1年半ほど。

 

楽しんでいくうちにたくさんの友達ができました。そうする事でより楽しくなっていきました。色んな人に会いたいという気持ちが高まり、特にイベントなんかにもたまにですが参加するようになったし自分でもイベントを立ち上げるようになりました。

すると今度は会いたいと言って全国からわざわざボクのいる京都の伏見区醍醐エリアまで来てくれるようになりました。

 

舞鶴、奈良、大阪、滋賀、三重、広島、香川、新潟、東京、北海道・・・

初めはただただ嬉しかっただけでこれが何なのか理解できなかった。今も理解できてないけど、自分もこの人たちのようでありたいと思う。

 

昨日も北海道からあかりんこと大畑さんが会いに来てくれました。

 

会いたいと思う人たちに会いに行く行動力と自分の感情に素直な心。これって人が人らしく魅力的であるために最も大切な要素なんだと思う。人に会いにいくっていう行為は大人になればなるほど仕事やお金、時間などで制限されてしまう。でもそんな障害をとっぱらって会いにきてくれた人たちはボクに会いにきてくれたっていう喜びを差し引いてもとっても本当に魅力的な人たちなんです。実際にSNSの中でもたくさんの人たちを惹きつけてる。ボクもこの人たちともっと仲良くなっていきたいし、もっともっと学んでいきたい。

 

価値観や想いを発信し、時にぶつけ合ったり、すり合わせたり認め合ったりして自分が魅力的だなと思う人と交流する。これが自分の魅力を高める唯一の方法なのかもしれない。

だからボクは改めてドンドン自分を表現していきたいと思う…遠慮がちな男だけど(笑)。

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